気付いている人もいるかと思うが、私は基本的に他者の言葉を
引用して記事を書く事が殆んど無い。私が単に
引用を好まないからと言うのもあるが、"
引用"には便利であるがゆえの大きな
副作用が存在しているからである。
引用とは、他人の言葉を拝借して自分の言葉とする行為である。自分の言葉で無いがゆえに、その
ニュアンスまで同一かどうかは甚だ怪しいものである。場合によっては、
引用元と
引用した者の
ニュアンスの差異の大きさから、全く異なる意味合いを持つ事もある。尤も、文章の受け取り方は人によって様々であるため、完全に一致する事は無いと言っても良い。
問題は
引用による批評で、「
●●が(文献・記事などで)こんな事を言っていた、だからこれは間違いだ」という感じのものである。文章としてはまともだが、
引用した者の考えが全く無く、
引用元の言葉を拾っているに過ぎない。稀に、複数の著名人の言葉を拾って批評する者もいるが、其処には
引用した者自身の考えは無く、考えている事すらも読めない。尤も、こう言う事を繰り返している人ほど、実際何も考えていない傾向がある。
これに類する物として、批判に対し「
○○(人名)の▲▲(本の題名)を読め」と返すパターンがある。だいぶ前にブログでこの実例を見た事があるのだが、アドレスを失念しまった(
格差是正問題で
格差拡大を謳っていた記事だったはず…)。このパターンでは、自分の言葉で批判を返すことが出来ないため、示した本の内容を以って自分と同じ考えに染めさせようと言うものである。
他者からの批判を交わす目的で
引用する事も問題である。会話や議論でたまにあるのだが、まず最初に「●●の言葉で、…」と言っておいて、自分を守ろうとするものである。それを批判しても、
引用した者は自分の言葉では無いことを盾に、
引用元に批判の矛先を向けさせようとする。つまり、このパターンでは、他人の考えている事を解説しているに過ぎず、少なくとも
引用した者の考えでは無い。目的と手段から考えると、この類の
引用は非常に無責任である。
要は、
引用を自分の考えを伝える主役とするのではなく、飽くまでも自分の言葉を補う脇役的存在としなければならないのである。
引用が多い文は見た目はまともに見えるが、所詮は他者の考えの一部を
丸呑みして消化不良を起こしている状態なので、実際に何を考えているかを判別するのは非常に難しいものがある。
引用元をしっかり
咀嚼していれば、自ずと自分の言葉の方が多くなるし、
引用する文は僅かで済む。これゆえ、
丸呑みした文と
咀嚼された文の見分けは簡単につく。
ぶっちゃけると、
「他人の引用はもう聞き飽きた。君自身の考えを、自分の言葉で示してくれ。」と言う事である。
余談だが、
引用の関連で、
ブログにおける
トラックバックの敷居を
異常に高くし、それを他人に押し付ける変な連中が存在する。一般的には、エントリーの内容に関連性があるから
トラックバック/
リンクを貼るのであり、
引用して批評しないとダメとか其処まで高尚なものではない。私自身、余程内容に関連性が無い限り、
トラックバックを削除する事はしない。


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